美命の会所

おかげさまで生きています

東京はまだ、緊急事態宣言中なのに、もはや解除されたのごとく
街のあちこちにたくさんの人が。車の交通量もはるかに増えています。
なぜ? の問いに、多くの人が「もう限界」と言います。

一体、何が限界なのかと私は思います。

電気やガスや水道が停まってるわけでもなく、
ごはんが食べられてテレビ見られてお風呂にも入れて、
スーパーやコンビニには豊富な食料があって、買いにも行けて、
ネットで注文した商品はすぐに届き、
無料で様々な動画や映画が配信されていて、
窓を開ければ心地よい風が入ってきて、
自然の営みも空も太陽も月も変わらずそこにある・・・

不自由のない暮らしができるのに、
何が限界なのでしょう?

地震や津波や台風で家を失い街を失い家族を失い
長い間避難所で暮らすことを余儀なくされていた人たちのことを思い出したら、
しかもそれは遠い昔のことではなくつい最近の出来事、
そこに思いを寄せたら、
「もう限界」なんて言えないと思うのです。

もちろん、不安やストレスはあるでしょう。
個々の環境や状況によってその強弱も様々です。

でもでも、自分の家にいられるのです。

あえて日本人と言いますが、
今、多くの日本人は甘えすぎてます。我慢できなさすぎです。
どうしてそんなことになっているのか??
それは、感謝の気持ちを忘れているからだと私は思っています。

日本には、「おかげさま」という素敵な言葉があります。

「おかげ」とは仏教用語の「木陰」がルーツ。
暑い時、木陰に入れば涼しくなりますが、
その木は、人々が涼をとるために陰を作っているわけではありません。
それでも、木に「ありがとう」と感謝する・・・その心が「おかげさま」。
つまり、私たちは、自分以外の誰かや何かよって
生かされていると考え、そのことへの感謝の気持ちを
「おかげさま」という言葉に乗せているのです。

国や行政、誰かや何かに不満や文句を言いたくなる気持ちは
わかりますが、
それでも、自分たちの目に見えないあらゆるところで、あらゆる人たちが、
ウイルスから私たちを守ってくれているから、
おかげさまで、今私たちは生きていられるのです。
普通に暮らせていられるのです。

それがどれだけ有難いことか。

おかげさまでごはん美味しく食べてます。
おかげさまで毎日お風呂に入れてます。
おかげさまで時々友人とオンライン飲み会しています。
おかげさまで時々美味しいもの取り寄せ美味しいお酒を飲んでます。
おかげさまで昨日注文した本が今日もう届きました。
おかげさまで生きています。

おかげさまの心をを取り戻さないと、
おかげさまの言葉を口にしないと、
日本は大変なことになる!!