美命の会所

奥ゆかしさの定義

最近なかなか聞かない口にしない「奥ゆかしい」という言葉。
先日、友人と会っていて、ふと、この言葉が浮かんできました。

「応援しているお店からデリバリーした料理、
一人では食べきれないから食べに来てくれない?」

そんなお誘いを受け、2ヶ月ぶりくらいに電車に乗って、
高層マンションの46階に住む彼女の家へ。

料理画像を一切撮らなかったので、彼女のリビングから望む東京の風景を。コロナのおかげで空気が澄んでます。下の緑は浜離宮

デリバリーの料理とは別に、
彼女はヒラメでアクアパッツアを作ってくれていました。
しかも、自分で釣ったヒラメ!!

ナイトクラブが遊び場だった彼女は今、海が遊び場!
釣りクラブの女王に変貌を遂げています(笑)。

私にしてみたら、
彼女が釣ったヒラメのアクアパッツアの方がはるかに感動的で驚きですが、
自分で釣ったことをさして大げさに話すわけでもなく、
ヒラメのアクアパッツアがテーブルに。

もし私だったら、ここぞとばかりに、自慢したと思うし、
この夜のメインディッシュは、デリバリー料理ではなく実はこれ、
「これを食べてもらいたかったの!!」とドヤ顔で、
大げさに話していたに違いありません。

そんなことをしない彼女を見てふと思ったのです。
奥ゆかしいってこういうこと・・・
今の私たちに必要な奥ゆかしさってこういういうこと・・・と。

そういえば、彼女はいつだって誰に対しても
細やかな心配りのできる人。
「ねえねえ」「見て見て」「どうどうどう?」
という話し方をしない、「私は、私は」の人ではないのです。

顔立ちが派手でとてもエネルギッシュな彼女だから
つい忘れてしまいがちなのですが(Mちゃんゴメン)。

「奥ゆかしい」という言葉からは、
大人しくて控えめで大きな声で話すなんてとんでもなく、
常に輪の中心の外側にいる人・・・・を連想しがちですが、
そのイメージがこの言葉を死語にしてしまったのかも。

今の時代の奥ゆかしい人とは、細やかな心配りのできる人。
奥ゆかしさをそう定義したら、
現代でも、この言葉、もっともっと使えるのでは? 
私は使いたい! だって、
とても美しい言葉ですから。

定義を少し変えて、今はあまり使わない、
でも美しい日本語を復活していけたら、
今の日本人の心の在り方もいい方向に変わっていけるのでは?

言葉は心を作る、ですからね。

よし、私は使っていこう。
細やかな心配りを感じたら、
「あなたのそういう奥ゆかしいところ、素敵だと思う」って。


夜景も美しかった!