美命の会所

11月11日は「御米の節供」!?

私たち令和の御伽衆(おとぎしゅう)は、

私たちの命をつないでくれている

すべての食べ物に感謝する日として、

新嘗祭が行われる11月に、

さらに、1年の最後に、

奇数が重なる11月11日を「御米の節供」として

これから日本に広めていくことにしました。

なぜそんなことを?

それについて、以下にまとめますね。

                    

江戸時代に徳川幕府が制定した5節供は

1月7日 人日(じんじつ)の節供

3月3日 上巳の節句

 5月5日 端午の節供

 7月7日 七夕の節供

 9月9日 重陽の節供

です。節供とは、季節の節目に穢れを祓い、

次の季節を乗り越えるための

体を整える日(メンテナンスをする日)であり、

神様に供物を捧げて願う、祝う日。

奇数が重なる日としたのは、

奇数(陽)のエネルギーが強く作用し、

縁起がいい(かつては逆の捉え方していた時代もありますが)から。

では、奇数が重なる日が節供なら、

  1月7日は違うのでは?

  なぜ11月11日はないの? 

これ、誰もが思う素朴な疑問です。

説明しますね。

節供文化は中国から伝来したものです。

古代中国では、おめでたいお正月の7日間に、

たとえば1日は鳥を、2日は狗(犬)を、3日は羊を・・・・というように

動物を殺さない(食べない)日とし、7日目を、

「人を殺さない(処刑しない)日」としました。

それが、1月7日の人日の節供です。

中国発の節供にこだわり、さらに、

奇数にもこだわりたかった徳川幕府は、

「5」節供であることが重要だったのでしょう。

日本独自の節供をつくることはできたはず。

でも、11月11日を入れたら「6」節供になってしまう・・・。

伝統文化とは、案外いい加減! とはいえ、

単純な発想から生まれたものでも、

100年続けば文化になる、と思えば、文化とは、

継承され続けることに意義があるのだと

あらためて思います。

さて、そこで、私たち御伽衆は、

人日の節供は「七草粥の日」にして、

11月11日を「御米の節供」にしたい、と考えました。

そのほうがすっきりわかりやすく、美しい・・・と思いませんか?(笑)。

時代ごとに文化も変化するのなら、人日の節供が持つ意味の

役割はとうの昔に果たし終えている!

西暦の暦が導入される前まで、11月23日は、

勤労感謝の日ではなく、新嘗祭の日でした。

新嘗祭の目的は、太陽のエネルギーが最も低い冬至のころに、

五穀豊穣に感謝し、

万物のエネルギーをアップデートすること。

新米で神さまをもてなし、神さまとともに

天皇陛下も新米を食すのがこの儀式ですから、

それまでの日本人は、

その日まで新米を口にすることはしなかったそうです。

古代日本において、お米はお金でした。ですから、

節供をはじめとする行事の多くは、

稲作に関連し、五穀豊穣を祈願し感謝するものなのです。

幸いなことに私たちはいま、

食べるものに困らない時代、困らない国に生きていますが、

それが当たり前ではないことを意識する日、

恵みに、命に、つくってくれている人たちに寄り添い、

感謝する日を持つことが大切ではないかという思いから、

11月11日を「御米の節供」として、これから日本に

広めていきたいと思っています。

写真は、数名の御伽衆が集まり、

記念すべき11月11日に、

お米とみりんを使った料理と日本酒で

「御米の節供」のお祝いをした時のものです。

この考えに賛同いただいた方もぜひ、

11月11日「御米の節供」を広めてください。

よろしくお願いいたします。